メレディス氏とスピットファイアのラジエータ

Spitfire the History(Eric B Morgan 著) を読んでいたらかなり興味深い事が書いてあったので、自分なりに噛み砕きつつ紹介する。不勉強のために誤訳・誤解釈等あるかもしれないので、気付いた点は指摘願いたい。

前提

一昔前、P-51マスタングの高性能ぶりを説明するにあたり、「メレディス効果」なるものが提唱された。P-51のラジエーターが、ダクトの断面を工夫することで抵抗を下げ、さらには排気が推力を発生させるような設計だったとするものである。メレディス氏が1935年に発表した論文から、俗にメレディス効果と呼ばれるようになった。 実際の所、論文内の仮定は非常に理想的な値を置いており、現実にそのまま適用できる代物ではなかった。それゆえ推力は発生していない可能性が高く、また論文で提案された設計とP-51の設計には相違が見られる。さらに、P-51以前の機体、例えばスピットファイアやBf-109でもラジエータのダクトはこの理屈に沿った形になっている。

だが、だからと「机上の空論」で片づけるのはちょっと勿体ないかもしれない。メレディス氏とその論文は、スピットファイアにおいては重要な役割を果たしていたかもしれない…というのが今回の話である。

上図はP-51とスピットファイアのラジエータ周辺の模式図。メレディス氏の論文はラジエータを通った後の熱された空気の扱いが注目点であった。前方の断面積の拡大(ディフューザ)の設計における寄与はそこまで大きくない。

当時のラジエータ事情

さて、1930年代当時、航空機用水冷エンジンのラジエータ設計は大きく分けて二つの方式があった。

(1) 機外やダクト内の気流にラジエータを晒す方式。後にスピットファイアやP-51など大戦時の水冷機の大半、さらには現代の自動車の大半でも使われるお馴染みの方式である。この冷却装置は英語だとhoneycomb condenserなどと呼ばれる(自動車のラジエータを見れば分かるが、確かにハニカム構造っぽい見た目ではある)。

(2) 翼や胴体などの表面で冷却する方式。表面のラジエータに水や蒸気を通す。シュナイダートロフィーで活躍したS6Bなどのレーサーにおいては水が使われていたが、He100など後の機体では蒸気冷却とセットで用いられた。決まった呼び名は無いようで、Surface Condensers in wingだとかleadng edge condenserだとか英語では表記されている。

1931年10月、次世代の戦闘機を求める仕様F 7/30が出される。ここで推奨されたゴスホークエンジンは蒸気冷却+翼面冷却方式であった。主任設計者ミッチェルを始めとするスーパーマリン社のチームは仕様F 7/30に応じてType 224を制作したが(初飛行1934/2/19)、ゴスホークエンジンの実装に苦戦させられた。結局Type224は不採用となったが、スーパーマリン社はこれをベースに新型の戦闘機F 37/34を設計することとなり、これがスピットファイアとなる。

スピットファイアと翼面冷却

F 37/34(スピットファイア)のデザインは、Type224をベースに、徐々に洗練する形で作られた。 この最中、ロールスロイスは自社開発エンジンのPV12、のちのマーリンエンジンを開発しており、スーパーマリンはこれを搭載する事を検討するようになる(ゴスホークも検討対象だった)。

実はPV12は当初、ゴスホークエンジンと同じく蒸気冷却方式で設計が進められていた。現在の我々からすればこの方式は正解でないように見えるが、当時としては魅力的な選択肢であった。特にスーパーマリン社はシュナイダートロフィーで翼面冷却の実績もあり、またType224でも経験を積んでいるため、翼面冷却はそれなりに有力な方式であった。

しかし、別の方式も有力になりつつあった。すなわちエチレングリコールを冷却材として用い、ハニカムコンデンサーで冷却する方式である。エチレングリコールの高い沸点により同じ体積での持ち出し熱量を上げる事ができ(※比熱は水より低いが、沸点のアドバンテージがそれを上回った)、冷却液の循環量を減らすことで冷却装置をコンパクトにできた。時期は前後して、1931年11月に空軍省はグリコール式のラジエーターの研究を許可していた(それまでは蒸気式一辺倒であった)。当初エチレングリコールはその化学的性質よりガスケットなどから漏れやすい問題があったが、研究を重ねた結果、実用化の兆しが見えていた。

スーパーマリンは当初、グリコール冷却より蒸発冷却の方が望ましいと考えていた。これはまだまだグリコール冷却の試験が不完全だったことと、蒸発冷却の方が空気抵抗の面で有利だったからである。

ところが検討していくうちに、翼面のみの蒸発冷却では冷却能力が不十分であり、補助用に水を冷却するためのラジエーターを追加する必要が出てきたのである(ただし、これは最高速や巡航時ではなく、上昇の際のみに必要とされた)。ここにおいて、翼面等での蒸気冷却+水ラジエーターか、グリコール式でラジエーターのみとするか、という二択になったのである(余談だが、初期のゴスホークエンジンは分離した蒸気を翼表面のコンデンサーで冷却し、残りの水をラジエーターで冷却するといった方式だった。したがってこの時のデザインは多少の相違はあれど先祖返りかもしれない)。

以下、いくつかの試算をつらつらと示す。

1934年11月頃の試算においては、追加の水ラジエータでは1.0平方フィート、グリコール冷却のみのラジエータでは1.7平方フィートの面積を要すると計算された。 また、ホーカー・ハート(ケストレルエンジン、K2969)で蒸発冷却+水ラジエータ冷却とグリコール冷却の比較実験が実施された。ラジエーターの面積は前者が2.886平方フィート、グリコール冷却が1.8平方フィートであった。しかしグリコール冷却の方は余分な突出分があるため、高度15,000ftでの最高速は前者より7.5mph低かった。このデータは1934/12/3にミッチェルに届けられた。そこで、同様のグリコール冷却がF37/34に用いられた場合、速度がどのくらい下がるかが検討された(面積2.4平方フィートのラジエータを主翼に部分的に潜り込ませ、カウリングが1平方フィートになると仮定された。なお、ここで初めてラジエーターを主翼に実装する検討がなされた)。結果、15,000フィートで24mphの速度減と見積もられた。しかし、RAE(王立航空研究所)でさらに実験が行われ、適切なカウリングの設計をすることで、ハートでのテストと同程度の損失(=7.5mphの速度減)まで抑えられる事が示された。

また、グリコール冷却の場合、冷却用のパイプを大幅に縮小でき、また液体の備蓄量も少なく出来ることで重量の減少が見込まれた。重量が下がる点は特に注目点となったようだ。

1934/12/5、試作機のエンジンにはPV12を使用する決定がなされた。この時点ではグリコール冷却の試験が満足に行われていなかったため、依然として翼面蒸気+補助の方式が考慮されていた。

長々と書いてきたが、要は軽量コンパクトなグリコール式か、複雑だが空気抵抗の面で有利な蒸発冷却式か、といった構図になっている。

上図は当時検討されていたF37/34のイメージ。赤斜線部は蒸発冷却のラジエーターを示す。

メレディス・ラジエーター

少し時間は遡り、1934年6月、航空機エンジンの冷却に関するRAEの報告書(ダクトに封入されたエチレングリコールラジエータに特化したもの)が発表された。その著者こそRAE所属の研究員F.W.メレディスであった。

理論としては、ラジエータ出口の状態を速度に合わせて調整すれば、低速冷却の原理を採用することで、速度の増加に伴う抵抗の増加を避けられるというものだった。さらに適切な条件であれば、抵抗を無くすことや、推力の発生も期待できるというものだった(また、エンジンの排気ガスも推力に活用することを提案している)。 この理論がスピットファイアに反映されるのは1年後となる。

1935/9/11、メレディス、スチュワート少佐、ロックスビー・コックス博士、その他のスーパーマリンの関係者がグリコールラジエーターについて議論するために会合を開いた(!)。そう、もはやメレディス氏の論文を参考にするどころの話ではなく、本人が直接スピットファイアの設計に携わっているのである(RAEの研究者なので、当然と言えば当然なのかもしれないが)。 この会合でメレディスは、ラジエーターに関しては以下の指摘を行った。

・現状では15mph分の損失が発生しているが(※前述の見積もりより小さい値であり、改善されたと考えられる)、風洞試験を行えばかなりの改善が期待できる。

・ラジエーターの位置は、最も圧力の強い機首や翼前縁付近が好ましい(※これはタイフーンやテンペストなどで試された配置と同じである。これらの機体は理論に沿ったラジエーター配置をしていたわけである)。胴体後方から取り入れる場合は、慎重なフェアリング設計と長いダクトが必要である(※P-51はこの方針である。あえてこれを採用しているのが設計の妙…なのかもしれない)。

・ベーンを装着したり、開口部にベントを設けたりしない限り、ラジエータカウルの口元に渦が立ってしまうのではないか。

この会議の結果、メレディスのラジエータスキームがF37/34に採用された(また、その他空気取り入れ口においてメレディスの意見が反映された)。すなわち、ついにグリコール式のラジエータが採用されたのである。この後にファーンボローの風洞で1/4スケールの模型を使ったラジエターカウルの実験が行われ、十分な性能を確保するに至った。

この段階ではすでに試作機も作られている最中であり、実は蒸気冷却のラジエータも付けられていた。この会議の結果取り外されることになるが、痕跡は残る事となる。初飛行前、正面から撮られた試作機K5054(無塗装)の写真をよく見てみると、ラジエータのパネルの痕跡を見る事が出来るのだ。

重要なポイントは、それまで空気抵抗が弱点であったグリコールラジエーターが、ダクトを工夫する事でそのデメリットを打ち消しうる(場合によっては推力としてむしろメリットになりうる)可能性が示唆されたことだろう。無論、開発チームが理論を鵜呑みにした訳ではないかもしれない。だが、仮に多少の抵抗になるとしても、軽量コンパクトな面と合わせてグリコール冷却の方が総合的に優れると開発チームが判断したとすれば、そこに価値があるのではないか。

メレディス氏の理論は、スーパーマリン社がエチレングリコール式ラジエーターの採用に踏み切るための一助となった、という点で重要な役割を果たしていたのである。



参考

「Spitfire the History」Eric B Morgan

「Evaporative Cooling – The Racer’s Edge」https://www.enginehistory.org/Accessories/EvapCooling/EvapCooling1.shtml